消えた洗礼者ヨハネ左の図はルーブルの聖アンナと聖母子の上にバーリントンハウスのカルトンをそれぞれ縦のサイズが168cm、141cmになるように比率を合わせて重ねたものです。
図のように綺麗に収まることがわかります。バーリントンハウスのカルトンでは洗礼者ヨハネの左足が画面からはみ出していますが、この板だと十分収まりきるサイズになります。このように、この板はもともとバーリントンハウスのカルトンために準備された板であった可能性もあります。
しかし、なぜレオナルドはバーリントンハウスのバージョンをそのまま完成作に仕上げなかったのかという大きな疑問が残ります。
その答えは洗礼者ヨハネです。
聖アンナと聖母子の依頼主はルイ12世です。イタリア進出を企て、戦争を仕掛けてきているフランス王にとってフィレンツェの守護聖人が描かれている聖母子画など必要がないのです。
その為、ルイ12世の注文で洗礼者ヨハネを画面から外すようになったか、もしくはレオナルドの忖度で描かなくなったというのが聖アンナと聖母子に二つのバージョンが存在する理由だと私は考えています。
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聖アンナと聖母子, c.1503-1519Oil on poplar, 168.4 x 113cm Paris, Musee du Louvre
この絵のためのレオナルドの準備デッサンは何点か残されており、それらは各部分に分けられて描かれています。特に聖母マリアの腰周辺は何枚も描かれており、かなり検討を重ねていることがわかります。こういった手順はレオナルドのいつもの描き方で、まず最初に全体の構図を小さな素描で決定した後に各部分のデッサンを準備し、それらを組み合わせて全体像を描くというものです。 この手順はレオナルドの手記、絵画論でも述べられておりレオナルドの絵画哲学です。 しかし、こういったレオナルド特有の描き方が幾つかの矛盾点を生む原因ともなっています。例えば、聖アンナの腰から膝までが異様に長い点などで、明らかに解剖学的には矛盾点が見られます。 あれほど熱心に解剖学に打ち込み、無数のデッサンを描いたレオナルドなのですが、実際の絵画制作では解剖学的なことよりも画面の構成に重点を置いて制作していることがわかります。 そして、いかに優れた芸術家であっても晩年になるとその作風は様式化し躍動感を失うものなのですが、レオナルドもこの幼児イエス・キリストの頭部巻き毛の描き方にはその兆候が見られます。岩窟の聖母に見られた多彩なリズムの変化が失われてしまい、単調なリズムで変化に乏しいものとなっています。 さすがにこの辺は年齢的な限界といったところでしょうか。 聖母マリアの右手や幼児イエス・キリストの両手も輪郭がぼやけてきており、レオナルドの全盛期からは程遠い筆の運びとなっています。また、イエスの顔の表情も影の部分が意図した範囲を超えて周辺に広がりすぎており、若干、黒く潰れ気味の描写となっています。おそらく、この辺りを描いている時期には利き手の自由が失われつつあったのかもしれません。 1517年にレオナルドの元を訪れたアントニオ・デ・ベアティスの日記には「右手が麻痺している」とレオナルドの様子が記録されているのですが、右手かどうかは別として幾分、レオナルドの手が不自由な状態にあった可能性は十分にあるのではないかと感じます。
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